全室南向きオーシャンビュー日間賀観光ホテルの島のご案内

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日間賀島について

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漁師の島
「日間賀島」

島の北側へ足を向けると漁港で体を休める船たちに出会う。
そう、ここは漁師の島。

海とともに生きる島

木曽三川が流れ込む伊勢湾、矢作川や豊川が流れ込む三河湾。大河が運ぶ豊かなミネラル分を含む優良な漁場に囲まれた日間賀島。ここに暮らす人々は縄文の時代から魚を獲ることを生業とし、海とともに生活してきました。

もちろん現在でも漁業は盛んで、後継者も育っています。ふぐ延縄漁、シラス漁、潜水漁、タコがめ漁、底引き網漁など漁法はさまざま。獲れる魚介の種類も驚くほど豊富です。

大勢の漁師たちがいるおかげで、島では新鮮な魚介を存分に味わうことができます。しかし、それを与えてくれるのは海であることを、漁師たちは知っています。

自然の恵みに感謝する心をすべての島民が持っている、それこそが日間賀島のよさ。そして自然の恵みは、穏やかであたたかい島人を育てる土壌になっているのです。

たこの島 ふぐの島

日間賀島は、古くからたことの関わりが深い島です。地元に伝わる民話によると、およそ六百年前、大きな地震で島のお寺が海に沈んだのですが、安置されていた阿弥陀様が大たこに守られて漁師の網に掛かったといいます。それは「蛸阿弥陀如来」として安楽寺に祀られ、今も崇められています。

島の周辺にはカニやアサリなどエサがふんだんにあり、たこの水揚げ量も豊富。十月になると島のあちこちで干しだこが風に揺れる風景が見られます。この干しだこは「ひっぱりだこ」の語源といわれており、正月には氏神様に供えられ、大漁、家内安全、無病息災が祈願されます。こうしたことから日間賀島は別名「多幸(たこ)の島」とも呼ばれています。

また、日間賀島ではふぐも名物。愛知県はとらふぐの漁獲量が日本一ですが、とりわけ日間賀島にはふぐの延縄漁を行う漁船が多く、ふぐ漁の中心となっています。平成元年からふぐ料理の開発や技術向上に取り組んでおり、今や冬になると県外からもふぐを味わいに多くのお客様が訪れます。

日間賀島の民話

かしきの長者
昔あるところに、一人の信心深い『かしき』(漁船の炊事係)がいました。
かしきは「どんな食べ物でも、神様から授かったものだから粗末にしてはならない」と母親から教えられていたので、食べ残しも無駄にせず、魚に与えていました。
そんなある日のこと、かしきがいつものように魚に食べ残しをあげていると、突然、海が見渡す限りの砂浜に変わりました。 かしきはそれを見て「これは良い鍋の磨き砂が手に入った」と、大喜びで桶一杯に砂をつめ、船へと持ち帰ったのです。そして翌朝、桶を見ると、なんとその砂が金に変わっていました。
こうしてそのかしきは立派な長者となり、島の人たちは「これまでの善行のごほうびに海の神様が与えたものだ」といって、『かしき長者』と呼び親しんだそうです。
魚阿弥陀様〈たこあみださま〉
昔々、島の漁師、茂二郎が大磯でたこ漁をしていると、なんと阿弥陀様を抱いた大きなたこを引き上げました。
大磯は、日間賀島と陸続きだったところで、そこには筑前寺という寺があったそうです。
ある時、その寺が大きな地震で海の中に沈んでしまったのだそうです。そこで茂二郎は、たこが抱いていた阿弥陀さんのことを思い出し、安楽寺におさめてみることにしました。するとそれからというもの、島では大漁の日が続いたそうです。
それ以来、この阿弥陀様は、「章魚阿弥陀」(たこあみだ)と呼ばれ、島の人たちの信仰を集めたそうです。

ホテルの歩み

昭和三十四年、中山三男が始めた小さな宿「三平旅館」が当ホテルのルーツです。創業からしばらくは西港に宿を構えていましたが、島を盛り上げたい一心から移転・改称を決意。昭和四十二年、見晴らしのよい高台の現在地に木造二階建ての宿を建て、島名を冠した「日間賀島観光ホテル」に名を改めました。

二代目の中山勝比古は、時代のニーズに合わせて増改築しつつ、平成元年には名称から「島」を取って現在の「日間賀観光ホテル」に。島だけでなく、知多エリア全体のアンテナホテルにしたいという思いが込められていました。

代々の思いを受け継いだ3代目の中山幸彦は、「自然に感謝し、魚の旨さと海から伝わる元気をお伝えする」を経営理念とし、ホテルに訪れたお客様が、旬の地魚の美味しさを、自然の癒しを、人のあたかかさを感じて元気になっていただけるよう、心の通ったおもてなしを大切にしています。

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